「アタシ、ヘイジャンのヤマダが好きやねん。」

 

 

「アタシ、ヘイジャンのヤマダが好きやねん。」

 

 

 

忘れもしない、あれは小学6年生のとき、3、4時間目で受けていた図工の授業中。出席番号順で作らされた班の席で、正面には当時ほんのり好きだった、サッカーが上手な標準語の男の子。そして右隣には、初めておんなじクラスになったけどめちゃくちゃ優しくてでもイケててとびっきりにカワイくて、音速で親友になった出席番号が一つ後ろのヒメちゃん。

 

「あなたは左右対称にしかモノを描けないの?」と小2の頃の担任に言われる発想力の固さ、未だに棒人間を描くのが下手くそなレベルのセンスのなさで図工の授業そのものは大嫌いだったけど、人だけに恵まれてなんとか毎週乗り越えていた。

 

そしてこれは一学期、の、多分それも、序盤の方。

楽しいのか憂鬱なのかよく分からない気持ちで、とりあえず雑談のしすぎで先生に怒られないように(わたしの席はど正面の最前だった)手だけは動かしながら、いつものようにヒメちゃんと他愛もない話を繰り広げていた。

まだヒメちゃんと友達になって間もなくて、おうちも近くなかったから放課後遊ぶには不便な距離だったし、ヒメちゃんとゆっくり話せるのも図工の時間くらいだったから、う〜ん、わたしが言い出しっぺだったのかな。小3で嵐にハマり、小4で関ジャニにハマっていたので、「わたしジャニーズ結構好きやねん♫」とか、好きな芸能人の話でも持ちかけたのかな。

 

おそらくそこで返ってきた返事が、冒頭の

 

👱🏻‍♀️「アタシ、ヘイジャンのヤマダが好きやねん。」

 

だった。

すごく意外だった。

ヒメちゃんは、小6のとき既に髪を茶髪に染めていて、お洋服もイケてて、どっちかって言うと「エグザイルみたいな感じのが好きそう」なコだった。

それを聞いた当時のわたしは、Hey!Say!JUMPに対して、親に初めて買ってもらったポポロで組まれていた企画「10人集合!パジャマdeお泊まり会はじめるよ〜♪」のイメージしかなかった。

 

 

あ、あとハイトーンボイス『か〜ぜをきれ〜〜〜!!』。

 

結構かわいい感じのグループ好きなんだ…?いや、わたしが知らないだけで、か〜ぜをきれ〜〜〜以外はバチゴリな曲多いんか…?と思いながら、確かわたしは

 

👧🏻「あ〜、、あ!ヘイジャン!?の、ヤマダリョウスケ!?ヤマダリョウスケは知ってる!一番かっこいい人やろ!(独断)」

 

と返した。

そのJUMPがパジャマ着てたポポロを買ってもらったわたしは当時、小学生特有のなんにでもランキングをつけたくなるブームがきてたので、全グループで好きな人を一人ずつ作る、ヤツウ、をやっていた。その時にギリギリ存在を知ったのがヤマダ、だった。

 

 

 

 

JUMPに興味を持った1番最初のきっかけは、ここだった。

12歳児にとっては、あまりにも単純で、充分な動機。

 

大好きな友達が、好きって言ってたから。

 

そこから、テレビでJUMPを見るたびに、あ、ヒメちゃんの好きなヘイジャンやん。と、自分も意識して見ることが増えた。

そういえば土曜日の習い事に行く前、見るものがなくてジャニーズが歌ってるテレビがついてることがよくあった。それも、ある日ふと意識してよく見ると、司会はあのヘイジャンだった。

 

学校の話はすぐ母に共有していたわたしは、そんなヘイジャンを見ては「これ、ヒメちゃん好きらしいで。ヤマダが好きらしい。」とかブツブツ報告したりもしてた。

 

 

 

そしてある日、母からあまりにも突然に、こう告げられた。

 

 

👩🏻‍🦱「Hey!Say!JUMPのコンサート、チケット一般販売で売ってるけど、アンタヒメちゃん誘ってこれ、行く?」

 

 

元ジャニオタの母、そしてわたしが、嵐も関ジャニも大好きな生粋のジャニオタだったけどなんやかんや生のジャニーズは見たことがなかったことに気を利かせて(?)くれたのか、やんわりと調べてくれていた。

 

ちなみにこれを言われた頃はすでに、「ヒメちゃん好きらしい」で見ていた少クラはわたしが見たくて毎週録画となり、ヒメちゃんの好きなヤマダはわたしの好きなヤマダへと代わっていた。この時から光速沼落ちの素質はあったのかな。

 

なのでもちろん返事は即答で「明日学校で聞いてくるわ!!!!!!」

 

 

 

…そこからどうやって申し込んだとかは、正直親任せだったからよく分からないし、当落が出たときのこともほぼ覚えていない。

結局わたし、わたし母、ヒメちゃん、同じクラスだった今も仲良い幼馴染の4人で申し込んだ。

 

小学生、(母抜いて)全員初現場、親同伴、に遠征の概念はある訳もなく、関西人なので申し込みも京セラドーム一択だったのですが、申し込みのとき、母が

 

👩🏻‍🦱「あ、ちょーど京セラの日、オーラスやん。しかも次の日結成日みたいやで?ええやん。」

(正確には結成発表日、ですね)

 

と言っていたのを覚えてる。

何がちょーどなのかも、オーラスだったらなんなのかも意味が分からなかった。結成日が近かったらなんだよ。

 

そんなこんなでご縁あり、申し込んでしばらくしてから無事、人生初の生ジャニーズ、ヘイジャンのヤマダと会えることが約束された。

 

 

そこからはま〜全てのことに気合いを入れて準備を始めた。

 

まずは、メンバーの名前を確実に覚えるところから。

 

だって9人は、多いじゃん!?!?ヤマダが見たくてテレビ見るようになったら、あと後ろに8人もいたんだぜ!?関ジャニだって結構頑張ったのに。

少クラの名前テロップ死ぬほど見るようになった。

あと、当時はまだ買ってはもらえなくて、TSUTAYAでレンタルしてきた『JUMP WORLD』、の、ジャケ写。

 

顔しか分かりやすくなくてマジアリガトウ★

(ぜひ調べてみてください)

 

と思いながら、放課後はお母さんの前でヒトマスずつ指差しながら

 

👧🏻「伊野尾!」

👩🏻‍🦱「薮。」

👧🏻「髙木!」

👩🏻‍🦱「伊野尾。」

👧🏻「エッ絶対昨日これ伊野尾ちゃうかったって!」

 

👧🏻「ここは……有岡のハズやのに……今日めっちゃ知念に見える………」

👩🏻‍🦱「有岡。」

 

みたいなのを、レンタル期間中毎日やってた。

 

あとは、レンタルしたJUMP WORLDと、録画しまくったあるだけの少クラを見返して、曲を覚える。

当時のわたしはBESTの『スナップ』がちょ〜お気に入りだった。もちろん今もかなり好き。

「♫目の〜前〜にある〜"景色〜とっ"」のところで手を上下にワイパーみたいに動かす薮くんの振り付けにタイミングを合わせることにのみ長けていた小6時代。

 

あとは、うちわ作り!

子ども3人で近所のダイソーに行き、とりあえず必要そうな材料を買い込んで地域にある誰でも使えるお勉強できるスペース(静かにしなきゃいけない)、みたいなとこにズカズカと潜入した。

知らないじいちゃんが囲碁とかしてる横で

「涼介」「撃って♡」

の型紙をデカデカと広げていた。

 

 

そんな楽しく準備を進めていたある日、1つ衝撃的なことが発覚した。

夜、たまたまジャニーズネットを?見ていた母の一言

👩🏻‍🦱「エッ待って!!!光くん、出えへんねんけど!!!」

※お気づきかもしれませんが、結成日を知っていたり、わたしより早くメンバーの名前を覚えていたり、母も結構引率半分楽しみ半分くらいにはしっかりハマっていた

※なお好きなのは光くん

 

光くん、まさかのドリボと日程が被ったため京セラ公演は欠席の表記。

FCにも入ってなかったから、多分公式で発表された日より気づくのも遅かったと思う。

 

当時はよくあったことでしたっけ、でも今、コンサートと舞台が被って片方に出ないなんてこと、まぁないですよねw w w w w w w w w w w wさすがに現場初心者のわたしでもずっこけた。

 

初めてのコンサートが完全体じゃないのはちょっと残念だったけど、「ま、ヤマダおるならえっか…」くらいに思ってた。小学生そんなもん。

 

 

そんなこんなで迎えた当日。

メンバーの名前よし、曲よし、うちわよし。

…ところで現場って、何着ればいいんだ?

特別な日だからおしゃれしたい。

迷いに迷った挙句、当時のわたしなりの1番の正装「「音楽会で着た服」」で挑んだ。

 

グッズって正直どのくらい並ぶのか、さすがの母も見当がつかず、死ぬほど早く家を出た覚えがある。駅でみんなで待ち合わせして、いざ京セラドームへ。

さすがナウいヒメちゃん、当時すでに親のお下がりのスマホを持っていたため、行きの電車の中でツイッターを開いて「山田 うちわ」とか「ペンライト JUMP」とか検索しながら、在庫をリアルタイムで確認してくれていた。

 

小学生だった私たちには、友達と電車に乗ってお出かけするのすら新鮮で。

あっという間にたどり着いた京セラドーム。

 

 

ホンモンの京セラドーム、デカ〜〜〜!!!!

 

 

その頃のわたしの知っている京セラドームは、2009年(?)のカウコンで頭に京セラドームの被り物を被る村上信五のイメージしかなかった。

ドームという建物すら初めて見たので、めちゃめちゃ感動した。

 

 

そして見つけたグッズ列。バッカ長かった。

割と冗談抜きで何時間も並んだ。早すぎたのかな。

ドームからリハ?の音漏れも少しだけ聞こえてた。

小学生には何時間も並ぶのはやや苦行だったけど、並んでる間も目に入るもの全てが新鮮で、ずっとキョロキョロしてた。

 

まずは、オタクの作ったイッピ袋。

初めての現場であれぶら下げたオタクが山盛りいたから違和感とかは感じなかったけど、人のぶら下げてる鞄眺めてるだけで暇が潰せた。

雑誌もほとんど買ってもらえなかったから見たことないヘイジャンの写真がたくさんあって、友達と周りジロジロ見てどのヤマダが1番好きか選んで報告しあってた。いい迷惑である。

 

あとは、本人になりきってるオタクたち。

メイクとか髪型はもちろん、衣装まで完璧な人も多くて、これは純粋に感動したし、普通に似てる人は遠くから見ながらもギャースカ興奮してた。いい迷惑である。

 

他にも、これは少しびっくりだったのは、ジュニアのうちわを持ってる人。

誰が出るかなんてジャニーズネット書いてなかったくね?とは思いながら、知ってるジュニアの名前は一応探す。ほぼなかった。(知ってるジュニアは樹とジェシー)(大阪公演)

あと、欠席だったとはいえ、光くんのうちわ持ってらっしゃったオタクも結構いた。

「光くん出えへんの、知らんのかな?教えにいってあげる?」

全力で母に止められた。いい迷惑である。

 

 

そしていよいよグッズ購入。

ここでも1つ、問題が。

 

「うちわって、何て言って頼むん…?」

 

いや、まあ赤の他人とはいえ、一応ヤマダって呼ぶと失礼なんじゃ…?あ、でもあのいや、ヤマチャン?あれも馴れ馴れしすぎて恥ずいな…てか別にグッズ売り場のお姉さんがヘイジャンのオタクとは限らないし、そもそもヤマチャン、で通じるのか…?丁寧にヤマダリョウスケって言った方がいい…?いやそれも可愛げが…

 

 

結果

「山田くんのうちわ、1枚……///」

生まれて初めての「山田くん」呼び。

ここで初めてわたし⇄ヒメちゃん、わたし⇄母以外にもヤマダの名前を聞かれる状況があると知り(後に中に入ってからの歓声もそう)、自分のヤマダ呼びも改めることにした。

ここら辺からやまちゃん、と呼んでる気がする。

 

彼氏の名前披露、くらい照れながらうちわやペンラなどグッズ諸々買い終わり、それでもまだ結構時間があったので、イオンのマックをお持ち帰りで頼んで、ドームの外周のとこでレジャーシート敷いて食べた。ほぼ遠足である。ちなみに食べ終わったあとはパンフもその場でみんなで読んだ。ほぼ音読の宿題である。

今もガラケーからデータ移行してその時の写真持ってるけど、めちゃくちゃじわじわくる。

 

 

ようやく入場できる時間になって、いざ、入場。

ゲートをくぐると、中のゲート(座席に繋がってるゲート)から覗くステージ。

 

 

 

 

 

ギャa a a a aアアアアアアアア〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

凄すぎて一瞬意識飛ぶ。

わたしがそれまでに見たことがあったステージは、それこそ音楽会ぐらいである。セット?照明?全てが大規模で、さすがにみんなで大はしゃぎ。引率の母はさぞ大変だったことでしょう。

 

事前に席は分かっていたので、今よくやるデジチケみたいなノリは特になく。

忘れもしない、スタンド2階の後ろから2列目。

2階、だっけ、あれ京セラに3階とかあったっけ。忘れたけど(前言撤回)、とにかくビスタではない1番上と記憶している。

 

後ろの方だし気持ちゆったりしてるな〜と思った記憶があるけど、正直一般でも取れたし、席も埋まってはなかったのかな。

でもこんな現場初心者クソガキ×3、他の方の迷惑にもなっただろうしそのくらい後ろでよかったかもしれない。

 

現場って記憶がないのが相場だけど、ない割には本編の記憶もまあまあある。

照明消えただけでちょっと泣いたし、何より小学校の体育館より広い場所に人が集まり、電気が消え、ペンラで溢れ、なんてのを見たことがなかったので、その景色に完全に圧倒されていた。

 

ポップアップみたいな登場を期待していたけど、上からおくるみみたいな真っ白の衣装でUMP歌いながら登場した。

 

 

 

👧🏻👱🏻‍♀️👩🏻「オル〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」(限界声量)

 

 

 

正直あの距離からは、いくらあのやまちゃんでも実物は2画素くらいにしか見えていない。

それでも演出のド派手さや、生身の本人、後ろのデカいスクリーン諸々でめっっっっっっっちゃ感動した。

 

なぜか今もめちゃくちゃ耳に残っているのは、情熱JUMPとロミジュリとユアシードとスクール革命とボーンインジアース。

ボーンインジアースはアンコールの1曲目で、

「なんか…少クラのオープニングみたい…」

と思った記憶がある。あ、今思い出したけどスナップもちゃんと上下ワイパーやったわ。周りでやってる人誰もいなかったけど。

 

そしてのちに、これが大きな出会いとなるんだけど、

ジュニアコーナー。

関西ジャニーズジュニア、、、一言一句知らない、、、と思いながら、後ろのスクリーンにもデカデカと紹介された「なにわ皇子」「Kin Kan」にも声援を送る。

 

金田一の関係で有岡くんが髪型焼きそばみたいになってて(当時のMCより)ちょっとずっこけたり、欠席のはずの光くんからビデオメッセージが届いてて嬉しくてちょっと泣いたり、MCまで覚えてるの、この公演くらいだ。

 

現場が終わって、もう叫びまくって踊りまくって歌いまくって、めちゃくちゃ楽しかった。ヒメちゃん、暴れすぎて「涼」のうちわに貼ってたシール、サンズイ以外剥がれてたw w

 

 

 

どうやって帰ったか、夜ご飯どうしたか全く覚えてないけど、お風呂入る前に正装を脱いだら下着の黒いキャミが潮で真っ白になってたのは覚えてる。

 

小学生最後の夏、一夏の大冒険でした。

 

長々と書いたけど(ほんまに)、一応わたしのJUMP沼落ち記憶は、ヒメちゃんの「アタシ、ヘイジャンのヤマダが好きやねん。」からここまでとしている。

 

 

実際に現場に行ったのが2012年9月23日で、ここから数ヶ月もしないうちに、また母の

👩🏻‍🦱「この前のJUMPのとき出てたなにわ皇子Kin Kanのテレビ始まるみたいやで?」

の一言をきっかけに、まいジャニを見始めるようになる。

これが思いの外面白くてかっこよくて、音速でハマる。

ヒメちゃんと幼馴染にも「あんときの人ら、テレビ始まるねんて…」と教えたところ、“ハマってくれた”。掃除の時間にセカンドムーブメントしか踊らなくなる。

12歳児×3、アホみたいにチョロい。まああの時のわたしたち、今の上垣くん(ボイビ)より若いし…エ、当時の上垣くん、3歳…?

 

 

さすがに(我が家的には)小学生はFC入会はさせてもらえず、結局入ったのは、中1の終わりの1月だった。

それまでも、少クラにより広がった守備範囲ことセクゾ、えびも出るジャニーズワールド、の、感謝祭にも行きました。これも一般販売。周りに少しJUMP担が増えてたので、今度は幼馴染ちゃんの妹とか、同級生とか、同級生の妹とか、引率の保護者合わせて10人で行った(4、4、2)。

 

まいジャニも見まくっていたおかげで、このときにはバリバリ関ジュ有識者の顔していたし、このときの7WESTのダイアルアップぶりに、先日ナゴドでジャニーズWESTを見れたときは少し感慨深いまであった。

 

この日は帰りに近くのファミレスで夜ご飯したんだけど、順番待ちしてる上の方の人が名前に「山田」「知念」と書いてたのを見て、友達が「伊野尾」って書いてた。チョイスにお腹抱えて笑ったし、実際店員さんに呼ばれるとき

🤵🏻‍♀️「10名でお待ちの、伊野尾サマ〜」

が、本物感出過ぎて恥ずか死するかと思った。(よい子はマネしないでください)

 

あ、ちなみにこのときの参戦服(2013/3/31)は、小学校の卒業式のときの服(AKBみたいななんちゃって制服みたいなやつ)。

 

 

 

嵐、関ジャニはテレビをめちゃくちゃ見る程度で本気のジャニオタ、とまではいかなかったので、全てのオタクの始まりが、このときのJUMPだった。ヘイジャン呼びしなくなったのは、中学生になってからかな。ママからお母さん呼びになるみたいな照れがあった。

 

結局まいジャニは初回からなにきんが解体されて少しあとくらいまで見てて、その後久々の再会を果たした時にはすでに彼らはなにわ男子になっていた。

今ではFCに入って、デビューコンも行かせてもらいました。

JUMPが出てたから、で見てた少クラのおかげで、後からハマるSnow Manのことも結構覚えてた。

家の録画にはまあまあな数のスノストジュニア時代(特にいわふか樹ジェス)の映像がダビングに残っている。ふっかのモノマネとかジュニアにQがそれなりの量あって過去の自分に土下寝をかますことになるのは、もう少し先のお話。

JUMP、から派生して優馬もよく見てたので、バックにときたまいたリチャくんもインパクトあったし、年に一度のin大阪とまいジャニのバックにはいつもいる、顔がかわいすぎて漢字が読みやすすぎて唯一なにきん以外で名前を覚えていた大晴くんがAぇにいたときも、かなりびっくりした。どこのイケメンかと思った。

 

 

もはやこじつけみたいな感じになっちゃうけど、

あの日JUMPのコンサートに行っていなければ、

あの日ヒメちゃんがヘイジャンが好きと教えてくれなかったら、

そもそも同じクラスになっていなかったら、

コンサートに行くことはなかったし

なにきんと出会うこともなかったし

少クラを見ることもなかった

 

スノなにわAぇに出会う世界は別であったかもしれないけど、こんな出会い方、知り方はしなかったと思う。

 

 

まさか当時の自分は10年後も変わらずJUMPのオタクをしているとは思ってなかったし、SNSで知り合った友達と連番を試みているとも思ってなかったし、JUMPで遠征してるとも思ってなかったし、10年後の自分は世界で大流行する病気にかかってJUMPに会える機会をワンチャンス失ってるとも、思ってなかった(つい先日復帰しました笑)

そして、今日、9月22日にこの一文だけ追記しますが、やまちゃんと裕翔くんが疾患し、一時的に「5人のHey!Say!JUMP」なんてものが存在することになるとも思ってなかった

 

 

10年、1人の人が小学生から大学生に成長するだけの長い時間の中で、人間関係も環境も好みだってたくさん変わったけど、それでもいつまでも変わらないのは、初めて見たときと全く変わらず、そしてあまりにも純粋な

 

やまちゃんかっこいい!の気持ち

 

 

友達のかけてくれた「ヘイジャンのヤマダ」の魔法

まだしばらくは、解けないままで